パキスタンは人口1億6千万人で世界第6位、人口増加も著しく、近郊を含む都市的地域の人口は1,308万人であり、世界第20位であるカラチKarachiは、パキスタン南部、アラビア海沿岸にあるパキスタン最大の都市というよりパキスタンの、いや世界最大のイスラム都市であるカラチに滞在した際の情報を提供します。
インダス川河口の西に位置する。シンド州の州都であり、パキスタンにおける商業・金融の中心地で、多数の工場や輸出入企業、銀行が街には軒を連ねます。
一方で殺人や誘拐事件が前例のないペースで相次ぐパキスタン・カラチ(Karachi)で、そんな中、経済的な余裕のある人々は、カラシニコフ自動小銃(AK-47)の銃弾から身を守る防弾窓ガラスや、爆弾攻撃にも耐えられる車台などを、自家用車に装着している。
これまで何度も脅迫やゆすりを受けて きたという実業家などは最近になって所有する四輪駆動車2台を装甲車に改造した。2014年6月8日にも空港でテロが発生しており、非常に治安が悪化して
いるのが現状です。私の乗ったバスも防弾使用の装甲車でした。どれほど危険かわかりますね。
暴力行為や犯罪、不平等のまん延も、同市に集中しています。カラチでは2年連続で、殺人による死者数の最多記録を更新中。
パキスタン人権委員会(Human Rights Commis sion of Pakistan)によると、2012年1~6月には1215人が殺害され、過去最多を記録したが、今年の同時期ではそれをさらに上回る1726人が殺害されたらしい。という悲しい現状もあります。
また、市民警察協議会(Citizens-Police Liaison Committee)によると、2012年の誘拐被害者数は約130人に上り、これも過去最多だということです。
市内ではテロが頻発しており、毎日のように事件は起こり、数十人がなくなっている。しかし、さすがこの町に駐在している方は少々のことでは動じな
い。テロ事件は、多いときには月に数回発生しているらしく、自由に行動することも制約が多い中で、駐在の方々のご苦労は察して余りある。
街には観光客も少なく、基本的に誰も好き好んで来ようとはしないかもしれませんが…
そして銃をもった軍人があちこちで監視しており、写真を撮るのも緊張します。車で移動するときも銃を持ったガードマンがいつも同乗していました。
上記の事情から限られた写真しか撮影できなかったが、いくつかを紹介しましょう。
パキスタンのお金です。すべてのお金がこの人のみです。 カラチは人口も多いので、BRICsには及ばないまでも重要な市場としては無視できない状況でもあります。
2.富裕層を対象としたショッピングモールもあります。
ショッピングモールはいたって普通で、一通りのものは買うことができます。外観も内装も日本のものと差はありません。 真ん中は民族衣装の専門店でしょうか。右はピーナッツが大量に売られていました。
街の風景はこんな感じでした。
パキスタンは1947年にインドから独立、インドをはさんで東西パキスタンというイスラム教国が誕生、その後1970年の紛争により東パキスタンはバングラデシュとして独立、西は現在のパキスタン・イスラム共和国となった。
クーデターや指導者の暗殺が繰り返され、アリー・ブットー元大統領はクーデターにより処刑、その娘のベーナズィール・ブットーは初の女性首相となったが、やはりクーデターで解任され亡命、2007年11月に帰国するも同年12月暗殺されたことは記憶に新しい。
もともと独立するまでは同じ国だったため、インドと人種、言語などは共通しているが、イスラム教を国教としているため、宗教観、食べ物は異なる。
インドでは食べられない牛肉はパキスタン人は普通に食べており、不浄の動物である豚の肉はここには見られない。
国語であるウルドゥー語はインドのヒンドゥー語とほとんど同じであるが、ウルドゥー語はアラビア文字を使うことが大きな違いである。イスラム教徒はコーランをアラビア語で読むことが必要なため、アラビア語もかなり入っています。
世界遺産のモヘンジョ・ダロ遺跡をめざす人以外は、好んでカラチを訪れようとする人も少ないでしょう。